『最近、あんまり眠れなくて・・・』
薬局を訪れた70代前半のひろ子さんは、お年よりもずっと若く見える患者様でした。血圧の薬をもらいに毎月、薬局を訪れて下さっています。
それが最近、不眠に悩まされているとのこと。いつもお渡しするのは血圧の薬が入った薬袋が1つだけでしたが、今日は睡眠薬が入った薬袋がもう一つ・・・バッグにしまうのを少しためらっているご様子でした。
『めまいやふらつきに注意して服用してくださいね。』
僕は基本的な服薬指導を行い、お薬をお渡ししました。
『なるべくお薬に頼らないようにしたいわ。』
そう言って、ひろ子さんは丁寧にお辞儀をされて帰っていきました。
しかし翌月、来局されたひろ子さんのご様子に僕は驚いてしまいました。以前のような若々しさが失われ、まるで別人のように疲れたご様子です。
『ど、どうされたんですか??!』
あまりの変わりように、投薬台の椅子に座るなり服薬指導も忘れてそうお聞きしてしまいました。処方箋には睡眠薬がさらに追加されています。背中も丸まって、急激にお年をとったようなご様子。
『いえ、あの、ちょっと・・・』
何かを悩んでいるような少しの沈黙の後、ひろ子さんは財布から1枚の写真を取り出しました。角が折れてシワになっているその写真には、ひろ子さんの膝の上で丸くなる1匹の可愛いトラ猫が映っていました。
『先月、亡くなっちゃって・・・旦那が早くに亡くなってから10年くらいだったかしら、ずっと一緒に過ごしてきたのよ。』
ひろ子さんは少し声を震わせながら続けます。
『毎日ね、布団に入るとこの子が枕元に寄ってきて、一緒に寝てくれるの。でも亡くなってからは枕元がさみしくてね、早く忘れなきゃって思うんだけど、なかなか忘れられなくて。』
ひろ子さんは猫ちゃんの写真を数枚持っていました。うんうんと聞くしかできなかったのですが、お話を聞いてくれたお礼にとひろ子さんは猫ちゃんの写真を1枚僕にくれました。
でも、患者様からトラ猫の写真をもらうなんてこんな服薬指導は経験がありません。薬剤師としてどうすべきなのか、なにが正解なのかもわかりません。
『お世話になりました』
ひろ子さんはいつものように、丁寧にお辞儀をされて帰っていきました。来局された時と同じ、とても元気のない様子のまま。
結局、僕は何もできなかった。
手元に残ったトラ猫の写真を見ながら、薬剤師としての自分に強烈な無力感を感じた瞬間でした。僕は間違ったことをしているのでは無い、きちんと服薬指導を行い、役割は果たしたはず。頭ではわかっているけれど、モヤモヤとした気持ちは消えることがありませんでした。
薬剤師とは?
あなたにとって、薬剤師とはどのような存在ですか?
お薬を調剤するお仕事?
飲み方を患者様に伝えるお仕事?
もちろん、それは非常に重要なお仕事です。専門家として日々学び続けなければ維持できない仕事なのだから。
しかしひろ子さんに睡眠薬の副作用の話をしたところできっと元気にはなりません。薬だけに目を向けていては解決しないことは容易に想像できました。
薬剤師がお薬以外のことに目を向ける必要があるのか?
薬剤師とはいったい何なのか?
ゴールがまったく見えないまま、無理矢理にでも自分なりの答えを出すために葛藤の日々が続きました。
その後さらに1か月が過ぎ、ひろ子さんが薬局に来られました。ご様子は先月とあまり変わらず元気がありません。お薬の調剤、監査を終えて投薬台に向かい、僕はひろ子さんに挨拶をしました。
『こんにちは』
このとき僕は、この1か月で用意していた“あるもの”をひろ子さんに差し出しました。
ひろ子さんとの出会いは薬剤師として働き始めてまだ2年くらい。薬剤師という仕事が正直よくわからないまま、日々の業務に追われているときのことでした。
僕がひろ子さんに差し出した“あるもの”とは?
はたして自分なりの答えは見つけられたのでしょうか?
後半も楽しみにお待ちくださいね。
~後編に続く~